2016年6月26日日曜日

2016年06月26日 第4主日礼拝 「悔い」と「悔い改め」

招詞
神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
                                                  詩篇51篇17節
聖書箇所
ルカの福音書 13章1節~17節

説教
「悔い」と「悔い改め」 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ66/聖霊(ハギオス ニューマ)
聖霊(ハギオス ニューマ)は、聖書のキーワードです。マタイ、マルコ、ヨハネの福音書(共観福音書と呼ばれます)の中で、イエスの生涯と聖霊の関わりを特に印象的に書いているのはルカです。ルカはその福音書の最後の部分を、「父の約束を待つように」というイエスのことばをもってしめくくっています(24章49節)。続く、使徒の働きでは、ルカの福音書の続編として、今や聖霊がキリストの働きの後継者のように神の御国の働きを受け継いでいます。ぺンテコステにおいては、かつての旧約聖書の特定の人たちに聖霊が与えられたものとは異なり、教会という共同体に対して聖霊が降り注ぎ、その中の信者すべてに対して与えられました。イエスさまは、聖霊により身ごもったマリヤから生まれ、両親が幼子イエスを連れて神殿に行った時、聖霊に導かれたシメオン老人は、幼子を抱き、祝福しました。イエスさまの宣教も、聖霊の導きで始められ、進められました。教会についても、初代教会いらい、聖霊は、教会の宣教を導いてこられました。その教会の一員である私たちも、おおいに聖霊の導きと祝福に預かっています。
                                (銘形 「ルカの福音書の神学的考察」より一部引用)

2016年6月19日日曜日

2016年06月19日 第3主日礼拝 イエスの再臨を待つ②

招詞
新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。          詩篇33篇3節

聖書箇所
ルカの福音書 12章49~59節

説教
イエスの再臨を待つ② 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ65/待ち受ける(プロスデコマイ)
イエス様は、ルカの福音書12章35~40節の中で、4つの待ち受ける(プロスデコマイ)ポイントがあると言っておられます。文脈は、イエスさまの再臨を待つ態度について語られたか所です。

①「腰に帯を締めて」待ち受けなさい(35節)―緊急事態に備えた行為を意味します。
②「あかりをともして」待ち受けさない(35節)― 再臨は、夜かもしれないので、あかりを絶やさないように、とのアドバイスです。
③「目をさまして」待ち受けなさい(37節)― いつでも対処できる構えを意味します。
④「用心して、準備して」待ち受けさない(40節)― 警戒と備えをして待ちなさい、です。

待ち受ける(プロスデコマイ)は、プロス(に向かって)とデコマイ(受け入れる)の合成動詞です。ただ待つという、受身的で静的な動詞ではなく、積極的で動的な、意味合いがあります。時間軸で言えば、私たちは、再臨の時に向かって時間の中を進むわけですから、リラックスし楽しみながら、しかし緊張もありの信仰生活を象徴する言葉であると気がつきますね。           (銘形 「ルカの福音書を味わう」から一部引用)

2016年6月12日日曜日

2016年06月12日 第2主日礼拝 イエスの再臨を待つ①

招詞
神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。                                         詩篇 36篇7、9節

聖書箇所
ルカの福音書 12章35~48節

説教
イエスの再臨を待つ① 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ64/イエスの「再臨」と十字架
イエスさまの再臨のことを真剣に考えたことがありますか?明治時代のクリスチャン内村鑑三は、明治10年(1877)、16歳で札幌農学校(現北海道大学)に入り、翌年に洗礼を受けました。彼は51歳の時に、長女「ルツ子」の死を経験し、家族の試練となりました。しかし、内村は、この時、明確な復活信仰を得ています。そして55歳の時、キリストの再臨に目が開かれました。内村の信仰の確信です:「十字架が聖書の心臓部であるなら、 再臨はその脳髄であろう。再臨なしでは、十字架は意味をなさない。したがって、私たちクリスチャンは再臨の立場に立って聖書を通読しなおす必要がある。信仰を維持するために、再臨の希望は必要欠くべからざるものである」。聖書によれば、クリスチャンは、イエスさまの再臨を信じて毎日を過ごしているはずです。私たちは、どうでしょうか。家族や親しい人と話し合ってみましょう。                                                          (銘形 「ルカの福音書を味わう」より部分引用)

2016年06月05日 第1主日礼拝 天に積む宝

招詞
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。                                             マタイの福音書6章33節
                    
聖書箇所
ルカの福音書 12章13~34節

説教
天に積む宝 田口勇新牧師
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言(こと)ローグ63/「2つの命 」
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」                                           (ルカ12:15)
 新約聖書では、2つの「いのち」ということばがあります。「ゾーエー」と「プシュケー」です。「ゾーエー」は、神が、私たち人間の霊を生かして、 生きていく力を与えていく根源的な「いのち」です。一方の「プシュケー」「いのち」は「魂」とも訳され、肉体的身体的な生命だけでなく、精神的な意味での 「いのち」を意味します。上記ルカ12:15の「いのち」は、「ゾーエー」のいのちです。人の精神や魂は、財産が豊かであるほど満足するかもしれません が、これは「プシュケー」の方です。物質的に豊かになっても、「ゾーエー」のいのちを満足することはできません。イエス様は、人が陥りやすいこのミスマッチを指摘されたわけです。
(銘形:「ルカの福音書を楽しむ」から加筆引用)